イギリスが好きすぎて、歴史を勉強しました。 勉強してから見るイギリス映画は全然違う! 忘れないためにもここにまとめることにしました✨
紀元前7世紀 ケルト人の襲来 *紀元前は英語でThe seventh century B,C。このB,Cとは Before Christの訳。 Before Common Era(共通西暦)と言う場合もある。 キリストが処刑されて3日後に復活した日が1日目 ケルト人(Celtic)とは...中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物でヨーロッパに渡来した インド、ヨーロッパ語族ケルト派の言語を用いていた民族。 紀元前2世紀 ケルト人の一派ベルガエ人(ベルギーの由来)が最後に到達
ストーンヘンジ ...紀元前2800年〜1100年頃、何の目的で石を運んだかは解明されていないが、天文学説など色々言われている。 *この時代、イギリスはブリテン島(British Isles)と呼ばれていた。名前の由来は、古代ローマでブリトネス(ブリテン人)と呼ばれていたその英語訳。
紀元前1世紀 ローマ帝国誕生 ⇨ガリア(フランス)の征服地域の拡大 ⇨ガリアの反ローマがブリテン島を拠点とする ⇨紀元前54年 ガリア人のカエサルはブリテン島を打ち破れず紀元前43年 皇帝クラウディウス がイギリスに侵攻紀元前1世紀末 ローマ帝国がブリテン島の大半を支配、ローマに最後まで抵抗したのはカレドニア(スコットランド人)にいたピクト人(ケルト系)⇨ 122年 ローマのハドリアヌス帝がピクト人に備えて全長116Kmの『ハドリアヌスの長城』 (Hadrian's Wall)を建造*今でもイングランド北部に城壁の遺跡が残っている。1987年に世界遺産に登録。 現在のハドリアヌスの長城
ブリテン島でも同様に防衛作戦を打ち出し壁を作るが、それが後にイングランドとスコットランドの境界線となる。 142年〜144年 スコットランド中央部にアントニヌスの長城がハドリアヌスの長城に変わるものとして建設されたがスコットランド人(カレドニア人)を」征圧できなかったため長城は幾度となく攻撃にさらされた。
2世紀頃 キリスト教(Christianity)がイギリスに伝来し、 ローマ軍団がブリテン島に都市を築き、舗装道路を設備し川に橋をかける。今でもこの時にできた道路が使われている 紀元43年〜410年 ローマンブリテン時代 (Roman Britain era)スコットランドより南だけ
4世紀末 ローマ帝国が崩れ始め、ピクト人によって城壁が破られ410年 ブリテン島が自立し始める
5世紀 ゲルマン人の大移動 が始まる(アングロサクソン人 ) *ゲルマン人. ..現在のドイツ北部、デンマークスカンディナヴィア南部地帯に居住していたインド、ヨーロッパ語族、ゲルマン語派に属する言語を母語とする民族。 *アングロ・サクソン人...現在のドイツ北岸からグレートブリテン島南部に侵入してきたアングル人がイングランド人としてイングランドの基礎を築いた。
5世紀末 アルトゥスと言う武将がアングロサクソン勢力相手に奮戦したことがのちにアーサー王伝説 として語り継がれる。 *アーサー王(King Arthur) ...本名はア・ゴトディン。イングランドのグラストンベリーにあるグラストンベリー修道院にお墓もある。
7世紀 ブリテン島は20の部族国家となる8世紀末 部族が統合され、七王国(ヘプターキー) となる*ノーザンブリア、イーストアングリア、エセックス、ケント、マーシア、サセックス、ウェセックス 827年 ウェセックス王エグバート が統合し、アングリア(イングランド) となる
*統合したのはデーン人(デンマーク人)の侵攻に対抗するため 支配地域外 アイルランドにいたスコット人がピクト人と融合し、スコットランドとなる西側の一部にブリトン人の部族が残り、ウェールズとなる。
893年 ウェセックス王アルフレット エグバートの孫でデーン人と戦い、最終的にはデーン人をキリスト教に改宗させた デーン人はイングランドの北東側に居住し「デーンロウ」と呼ばれた。 ヴァイキング ...スカンディヴィア半島、ユトランド半島に居住していた北ゲルマン人(ノール人(ノルウェー)、デーン人、スウェー人(スウェーデン)の総称
アルフレットの後継者で平和嘔吐も呼ばれたエドガー王が死去し、デーン人に征服される ⇨フランスのノルマンディ公と同盟を結んで対抗する1013年 デーン人のウェインハラルドソンが息子のクヌートと大挙侵攻
デーン朝(Danes dynasty) 1016年 クヌート1世 がイングランド王として23歳で即位 Canute (990-1035)*クヌートはデンマーク王、ノルウェー王を兼ね備えて北海帝国の帝王となる 1035年 クヌートが死去し、アングロサクソン王朝が一旦復活する
ノルマン朝(Norman synasty) 1066年 ノルマンディ公国ギョーム2世 がそれを打ち消し、ノルマン朝を築く Guillaume II(1307-1345)
*ギョーム2世はヴァイキングの子孫で祖先はノルマンのロロ 911年 ロロはフランスを包囲しユタンタン半島を与えられた(ノルマンディ)1042年 エドワード1世 即位 Edward the Confessor(1004-1066)
ノルマン朝(Norman dynasty) 1066年 ハロルド2世 即位 Harold Godwinson(1022-1066) →ヘイスティングの戦い ...ハロルド vs ギョーム2世(勝)
ウィリアム1世 即位 Willam I (1027-1087)*これが影響して今尚、イギリスの貴族にはフランス系の家系が多い *イングランドにおける最後の征服王朝 7歳でノルマンディ公に即位 ドゥームズディブックを作り税収入を安定させた (土地の保有者、保有面積、自由面積、非自由農民の数、所領の評価などを綿密に記した土地台帳)
ウィリアム1世死後、4人の息子を分断後継者にした 長男 ロベール → ノルマンディ公 次男 ジョフロワ → アンジュー伯位 三男 ウィリアム2世 →イングランド王 四男 ヘンリ(アンリ) → 多額の金銭を残した だが、四男がイングランドを奪還するまでは、アンジュー伯領を占領し、次男はフランスのシノン城、ルーダン城、ミルボン城のみ、これが後に兄弟対決になる。 ⇨三男のウィリアム2世が勝利し、イングランドとノルマンディの支配者となる
1100年 四男のヘンリ1世 即位 Henry I (1068-1135) ⇨長男ロベール vs ヘンリ1世(勝)1106年 イングランドとノルマンディを統治し、長男ロベールはウェールズのブーディフ城に幽閉された ⇨ヘンリ1世は後継者として娘のマティルダをアンジュー伯爵ジョフリプランタジネットに 嫁がせた1135年 ヘンリ1世が死去、甥のスティーブンが後継者だと主張 ⇨13年の内戦状態となる(無政府時代) ⇨密約が交わされ、スティーブン1世 の死後、ヘンリが後継者となることになる Stephen (1096-1154)
プランタジネット朝(アンジュー帝国)(Plantagenet dynasty)(Angevin Empire) 1154年 ヘンリ2世 即位、ヨーロッパの広大な領土の君主となる (1133-1189)⇨子供と対立、妻にも背かれ解体する ヘンリ2世の後継者は息子のリチャード1世 即位 (ライオンハートと呼ばれた) Richard I (1157-1199)
1189年 エルサレム奪還のため、第3回十字軍 (-1092)が組織される ⇨リチャード1世、フランス王フィリップ2世、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世 イングランドはリチャード1世のために多額のお金を使った。 1199年 ジョン1世 即位 (失地王)John (1167-1216)1214年 フィリップ2世に敗れ、アンジュー帝国を次々に失っていく。 カンタベリー大司教の任命を巡ってローマ教皇と対立、破門される1215年 ジョンの失地と失政で諸侯らは軍役を拒否し、王への忠誠を放棄する ⇨マグナカルタを認める(大憲章) 貴族や市民の権利を明文化したもの ⇨立憲政治 (Constitutionalism)のスタート
1216年 ヘンリ3世 7歳で即位(1207-1272) ⇨ヘンリ3世とレスター伯シモンドモンフォールがパーラメント(議会)の開催を巡って対立し内戦となる1264年 シモンド伯が勝利し、ヘンリ3世と皇太子のエドワードを捕虜とした ⇨シモンド伯の独裁を恐れて諸侯が離反する ⇨エドワード皇太子が拘束から逃れて反撃しシモンド伯を敗死に追いやった
1265年 各州の中小領土主や都市の市民代表がパーラメントへの参加を許される →これがイギリス議会(Parliament of the UK) の始まり
1272年 エドワード1世 即位 Edward I (1239-1307)1276年 ウェールズに4度に渡って侵攻しプリンスオブウェールズ、ルウェンアプグリフィスが抗戦1301年 ウェールズの宮廷で産ませた子供、のちのエドワード2世(イギリス市場最悪の王)にプリンスオブウェールズの称号 を与えた。以後、イングランドの皇太子はプリンスオブウェールズと呼ばれる。
1306年 スコットランドは巨従のジョンを推したが、ロバートブルースが反乱を起こし、ロバート1世 即位 Robert Ⅰ (1274-1329)
1307年 エドワード2世 即位 (1284-1327)ロバード1世に敗れて、スコットランドは17世紀まで独占を維持する 1326年 エドワード2世はフランス王フィリップ4世の娘イザベルと結婚するが、エドワードに失望し、イザベルとモーティマーによってエドワード2世の側近デスペンサーとその父親を処刑、エドワード2世は捕まった。1327年 イザベルの開いた議会でエドワード2世を廃絶、エドワード3世 14歳で即位 (1312-1377)1330年 エドワード3世は母イザベルとモーティマーを逮捕しモーティマーを処刑 イザベルを生涯幽閉した。これはエドワード3世なりの父親の仇だった。
1339年 百年戦争 始まる....過去2世紀のフランスとイングランドの歴史を生産する戦いで アンジュー帝国の復活を目指したから。フランス&スコットランド vs イングランド1346年 クレイシーの戦い(Battle of Crecy). ...イングランド勝利(カレーを独占)
1356年 ポワティエの戦い(Battle of Poitiers) ....イングランド勝利
*元はウェールズで使われていた長弓部隊が活躍した 1358年 パリ市民が反乱を起こし、ジャックリー農民一揆が勃発
1377年 リチャード2世 10歳で即位 (1367-1400)
1381年 ワットタイラーの乱 Wat Tyler's Rebellion(Peasants' Revolt) …人頭税に対する抵抗で農民らがロンドンを占拠した
ランカスター朝 1399年 リチャード2世は幽閉され死去、ヘンリ4世 即位 (1367-1413)
1413年 息子ヘンリ5世 即位(1387-1422)
1415年 アゼンクールの戦い Battle of Agincourt....イングランド勝利 ⇨ヘンリ5世、フランス王フィリップ6世死去 ⇨息子ヘンリ6世 がイングランド、フランス両国王として即位(1421−1471) ⇨17歳の少女ジャンヌダルク がフランスを救えという神のお告げを聞いたと言って現れるJehanne Darc (1412-1431)
1429年 パテーの戦い Battel of Patay フランス勝利
ジャンヌダルクの活躍によりランスの奪還 ⇨シャルル7世 即位 Charles (1403−1461)1431年 イングランドはジャンヌダルクを裁判にかけ魔女と認定、火刑された*ジャンヌダルクの死後25年後、ジャンヌの復活裁判が行われた結果、無実と殉教が宣言された。その後ジャンヌは1909年に列福、1920年に列聖されフランスの守護聖人となっている。 1453年 百年戦争 終結 *百年戦争の間5度に渡りペストが流行 ...1346年ロシアのクリミア半島で流行 1347年8月 イングランド南部ウェイマスに上陸。その後、スコットランド、アイルランドと広まり一旦終息するも、1361年、1369年、1390年、1413年に流行し、イングランドの人口は半分になった。
ランカスター・ヨーク 1455年 ばら戦争 勃発 →ランカスター家(赤バラ)とヨーク家(白バラ)の内戦で30年の間に3次に渡って行われた第1次の乱でヨーク家のリチャードが戦死
ヨーク朝 1461年 エドワード4世 即位(1442-1483)1470年 第2次の乱でランカスター派が勝利。ロンドン塔に幽閉されていたヘンリ6世が復活する ⇨エドワード4世はブルコーニュへ亡命、ランカスター派を打ち破る ⇨エドワード4世の弟が王位を奪うため幽閉して廃絶しリチャード3世 即位(1452-1485)
テューダー朝 1485年 ランカスター派のリッジモンド伯ヘンリ デューダーがリチャード3世を破り戦死させ、ヘンリ7世 即位(1457-1509)
1492年 コロンブスが新大陸(アメリカ)に到達
1509年 次男ヘンリ8世 即位(1491-1547)ヘンリ8世 .....歴代王の中で最大級の怪人物でイングランド最初の絶対君主
①番目の妻→スペイン王の娘キャサリンオブアラゴン。
最初は兄のアーサーの妻、6人の子供は全て女の子無事に育ったのはのちのメアリ1世 だけ *ヘンリ8世はキャサリンにもう男の子が生まれる見込みがないとして離婚しようとするがカトリックではローマ教皇の商人がないと離婚できないためローマ・カトリックから離脱 1534年 イギリス国教会を設立 ②番目の妻→最初の妻キャサリンの侍女アンブーリン 。 のちのエリザベス1世が生まれる。結婚生活は1000日、アンはメアリに冷たく強い性格で離婚も認めず、ヘンリ8世は離婚するためにアンに密通の罪をきせ処刑
*映画 『 ブーリン家の姉妹』 The Other Boleyn Girl 16世紀のイギリスを舞台にヘンリー8世の妻となるアンブーリンと妹メアリーブーリンの実話に基づいたストーリー
『1000日のアン』 Anne of the Thousand Days ヘンリー8世と妻になったアンブーリンの結婚生活わずか1000日の実話に基づいた話
③番目の妻→ジェーン シーモア のちのエドワード6世が生まれる。産後すぐにジェーンは死去する
④番目の妻→ドイツ貴族の娘アン 外交のために結婚した政略結婚でしたが6ヶ月で離婚
⑤番目の妻→アンブーリンの従兄弟キャサリン ハワード この時すでにヘンリ8世は49歳でキャサリンは19歳でした。キャサリンはかつての恋人に密通した罪で処刑されます。
⑥番目の妻→キャサリン バー ヘンリの2人の娘、メアリとエリザベスを自分の元に置き教育した。ヘンリ8世が亡くなるまで添い遂げました。
1547年 唯一の息子 エドワード6世 即位(1537-1553) 体が弱く16歳で死去
1553年 ジェーン・グレイ 初の女王として即位 Jane
ジェーングレイはヘンリー8世の妹メアリーの娘
夫の父である最高権力者のジョン・ダドリーの画策によりエドワード6世の死の間際遺言状を書かせて即位させたが、メアリーが女王宣言をし、ロンドンに攻め入ってきて、夫と共にロンドン塔に幽閉された。
1553年 メアリ1世 初の女王として即位 Mary Ⅰ (1516-1558)
エドワード6世はプロテスタント、メアリはカトリックだったためメアリはプロテスタントを火刑しその残酷さからブラッティ メアリ と呼ばれた *イギリスのパブにはブラッティメアリというお酒がある
1558年 エリザベス1世 即位 エリザベスはプロテスタントもカトリックも取り込んだ エリザベス1世 ....アンブーリンの娘、ヘンリ8世がアンブーリンを処刑した後、幽閉されていたがヘンリ8世の6番目の妻キャサリンに救われる。生涯結婚せず処女王ヴァージンクイーンと呼ばれた。海賊に投資し、他国の富を奪って財貸を溜め込んでいた(国家予算の3年文を収奪)Elizabeth Ⅰ (1533-1603)
1588年 イングランドに上陸しようとしていたスペインのアルマダを破りオランダ独立を支持、スペインを的にした。
* 映画 『エリザベス』 Elizabeth 『エリザベス ゴールデンエイジ』 Elizabeth The Golden age
『ふたりの女王メアリーとエリザベス』 Mary Queen of Scott 16歳でフランス王妃となり18歳で未亡人となったメアリーはスコットランドで再び王位につく。しかし当時のスコットランドはエリザベス1世の支配下にあった。実話に基づいた話。
ドラマ『 Reign Queen Marry』
メアリー スチュアート Mary Stuart...スコットランドの女王、ヘンリ7世の孫であり、イングランド王位継承権を持っていた
1567年 夫殺しを企てたとして、エリザベス1世の元に逃げてくる。2番目の夫ダーンリー卿、のちのジェームズ6世を産む。ジェームズ6世は生後8ヶ月で父を殺され母が廃位となり 1歳でスコットランド王に即位 1587年 エリザベス1世の暗殺を企てたとして処刑される
1588年 アルマダの海戦 Battle of Armada
1600年 東インド会社 East India Company(EIC)設立
スチュアート朝 1603年 メアリ スチュアートの息子でスコットランドの王でもある ジェームズ6世 がイングランド王 ジェームス1世 として即位 James Ⅰ (1566-1625)
1623年 アンボイナ事件 Amboyna massacre ...オランダ領東インドにある東インド商館の商館員を全員殺害した事件
1625年 息子の チャールズ1世 即位 Charles Ⅰ (1600-1649)
1628年 議会は「権利の請願」を提出、内乱が起きる ⇨イギリス国を支持する王党派(ヨーク)vs ピューリタンを中心とする議会派(ロンドン) 1645年 オリヴァ クロムウェル軍がネーズビーの戦いで国王軍を破る
1646年 チャールズ1世を投降に追い込み死刑にする ⇨ピューリタン革命始まる ⇨クロムウェル が独裁者となる Oliver Cromwell (1599-1658)
1649年 アイルランドに侵攻
1652年 3分の2がイングランドのものになる英蘭戦争 Anglo-Dutch Wars 勃発 イングランド vs オランダ ( ネーデルラント連邦共和国)3次でフランスが参加しウィレム(オランダ) が勝利する
1651年 航海法 Navigation Acts....商品を輸送できるのはイングランド船か原産地の国に限る→オランダ船による中断貿易の締め出しのため
1658年 クロムウェルは国王になることができないまま死去する ⇨王室復興説が湧き上がる ⇨オランダに亡命していたチャールズ1世の子チャールズをイングランドに呼び戻しす 1660年 チャールズ2世 即位 (1630-1685) チャールズ2世は政治には興味なかった。
後期スチュアート朝 ⇨議会が強くなる トーリー....王権重視で保守党の前身、チャールズ2世の弟ヨーク公ジェームズ ホイッグ....議会重視で自由党の源流、チャールズの庶子でプロテスタントのモンマス公
1685年 ジェームズ2世 即位 (1633-1701) イングランド、スコットランド、アイルランドの王 フランスのルイ14世が後ろ盾となり、イングランドのカトリック化を進めるため、議会を解散させる ⇨ホイックとトーリーが手を結び、妥当ジェームズ2世となる ⇨「名誉革命」と呼ばれるクーデターが始まる ホイッグとトーリーの旗印はオランダ総督のオラエネ公ウィレム
1688年 ジェームズ2世 フランスへ逃亡 ウィレム即位の条件は「権利の宣言」「権利の章典」(立憲君主制の原典) ウィレムは ウィリアム3世 (1650-1702)、 妻 メアリ2世 (1662-1694) 即位 イングランドを共同統治する ⇨イングランドは王位継承1位のメアリを女王にするつもりがウィリアム3世が納得せず2人で即位する イングランド銀行設立 Bank of Englandボイン川の戦い Battle of the Boyne....イングランド&オランダ(勝)vs フランス&ジェームズ2世(アイルランドに上陸)*イングランドの王になれるのはスチュアート家の血を引くプロテスタントのみという新たな制度を作る 1702年 メアリ2世、ウィリアム3世死去、娘のアン 即位 Anne Stuart(1665-1714)
* 映画 『女王陛下のお気に入り』 The Favourit 18世紀初頭、英国はスペイン王位継承戦争でハプスブルク家側につきフランス王国と戦争の渦中にあった、アン王女は健康状態が思わしくなく、親友である側近のサラを公私に渡って頼っていた実話に基づいたストーリー
17世紀初頭 新大陸(アメリカ)はスペインの独占状態だったが、イギリスもエリザベス時代に植民地を獲得、スチュアート朝に増えて行くピューリタン が宗教の自由を求めて新大陸に移住し始めた
1620年 プリマス港からメイフラワー号で移住したため新大陸での植民地はプリマスとなるメイフラワー号で取り交わした誓約書がアメリカ憲法の基礎となる。その後、先住民の土地を奪いながら領地を広げて行く
1707年 スコットランドとイングランドが統一しグレートブリテン王国 となる ⇨スコットランドはフランスに付いていたが、フランスvsスペイン(勝) ⇨スコットランドは国力が増したイングランドを選択 スペイン継承戦争 War of the Spanish Successionブレンハイムの戦い Battle of Blenheim…イギリス&オランダ&オーストリア(勝) vs スペイン&フランス
1713年 新大陸ニューファンドランドノヴァスコシアハドソン湾地方をフランスから獲得 ユレイヒト条約 ....スペインの植民地で奴隷獲得権を得る
ハノーヴァー朝 1714年 アン死去(子供18人は全て死亡)、 ジョージ1世 即位 George Ⅰ(1660-1727) →ドイツから来たので英語話せず、イギリスを知らず全て議員任せだった。
1720年 南海泡沫事件 (サウスシーバブル)バブル経済と破綻
1727年 ジョージ2世 即位 (1683-1760) ジョージ2世も全て議員任せだった ⇨「王は君臨すれど統治せず」立憲君主制の原則が確率 ロバート ウォルポール ....世界初の首相(ホイッグ党)イギリス議会制民主主義を整えた戦争がなくウォルポールの平和と言われた*最初、プライムミニスターは独裁者という意味だった Robert Walpole (1676-1745)
1756年 7年戦争 Seven Years' War (-1763) 新大陸ではフレンチ インディアン戦争 パリ条約でルジアナ カナダを取る。その後インドも取り、世界的な帝国となる イギリス勝利の理由は、確立された財政システム イングランド銀行で国債を引き受け、軍事費を調達、勝利すると信用が高まり 金融中心だったアムステルダムから資金が入った。 オランダから海上交易の権利を奪い アジア貿易の目玉商品はインドの綿製品になる。
奴隷貿易 slave trade ...新大陸からコーヒーが持ち込まれる。⇨ロンドンにコーヒーハウスができる、砂糖の消費が拡大 ⇨イギリスはカリブ海のハシューダ諸島、ジャマイカ島を占領、砂糖のプランテーションを経営 ⇨黒人奴隷を使う
三角貿易 triangular trade ....イギリス(ヨーロッパに砂糖を売る) 黒人を売る↓↑砂糖を買う 武器を売る↓↑黒人を安く買う カリブ海 アフリカ労働力 ....農村は増産で農業技術の発達により、余った人が都市に流れてくる
* 映画 『チューリップフィーバー 肖像画に秘めた愛』 Tulip Fever 17世紀オランダのチューリップ・バブル時代の話で17世紀の画家フェルメールの絵画から着装している。
18世紀 産業革命 Industrial Revolution①毛織工業を中心とするマニュファクチュア(工場制手工業) ②産業技術 ③ニュートン物理学
18世紀前半 火力機関やコークス製鉄法が開業 1733年 ジョン ケイ開発の装置で織布生産の機械化
1744年 カーナティック戦争 Carnatic Wars...イギリス勝利 フランスを南ドイツから追い出した
1756年 アメリカで印紙法 施行 新聞やパーフレットに印紙を貼らせて課税
1757年 プラッシーの戦い Battle of Plassey.….ベンガル vs イギリス(勝)
1764年 ハーグリーブスがジェニー紡績機を発明。ジェームズワットが蒸気機関を改良。ムガール帝国がイギリスに挑む、イギリス勝利、東インドで徴税権を獲得
1767年 アメリカでタウンゼント諸法 施行 茶、ガラス、紙、鉛などに課税 1769年 アークライトが水力紡績機を発明 (1769〜1770でベンガル住民の3分の1が死亡) 1773年 茶法 施行 Tea Act 東インド会社がアメリカに輸出する茶は無税、理由は在庫をさばくためだった!が、アメリカ人の誤解を招き、東インド会社が植民地貿易の独占を狙っていると解釈された。。。 ボストン茶会事件 Boston Tea Party ...ボストンの急進派市民がボストン港に停泊していた東インド会社の船舶を襲撃1774年 ボストン港を封鎖 1775年 アメリカ独立戦争 勃発 American War of Independence アメリカ( ジョージワシントン軍 ) vs イギリス
1778年 フランスがアメリカの独立を承認、参戦 1779年 イギリスは孤独に
1781年 ヨークタウンの戦い Battle of Yorktown アメリカ フランス連合軍に降伏、パリ条約で承認 1789年 フランス革命 French Revolution 勃発 1793年 国王ルイ16世が処刑 ⇨ピット首相はヨーロッパ諸国に呼びかけ、第1回対仏同盟を結成 ⇨対仏戦争 軍事的天才、ナポレオンの登場、オーストリアを撃破、イギリスのインドルートを遮断
Napoléon Bonaparte (1769-1821)1798年 ナポレオンがエジプトを占領、イギリス海軍はアブキールでフランスを破り、ナポレオンをエジプトに孤立 ⇨第2次対仏同盟 Second Coalition を結成(イギリス、オーストリア、ロシア) ⇨ナポレオンはエジプトをを脱出 ⇨オーストリア軍を再び撃破 ⇨イギリスはナポレオンと和約を結ぶ 1805年 ネイソン提督率いるイギリス海軍がトラファルガー沖でフランス軍撃破 1806年 ナポレオンが大陸封鎖命令を発す(ヨーロッパにイギリスとの貿易を禁じる) →ヨーロッパは逆に困る形となり、ナポレオンから離反する 1812年 ナポレオン ロシア遠征失敗 1813年 ナポレオンはライプチヒの戦い でブリュッヘル率いるプロイヤン軍らに敗れエルバ島に流される 1815年 穀物法制定 Corn Laws(〜1846) ナポレオンはエルバ島脱出、再びフランス皇帝となる ワーテルローの戦い Battle of Waterloo ....イギリスはプロイセン軍と連合してナポレオン軍破る⇨ナポレオンをアフリカ沖の孤島セントヘリナ島に流した *ワーテルローの戦いを調べたところ、Waterlooだったことにびっくりしました💦わたしの通っていた語学学校の最寄り駅でもあり、読み方はウォータールーです。ワーテルローはフランス読みから来てるらしいです。確かにフランス語で聞くとワーテルロー。ABBAの名曲"恋のウォータールー"(Waterloo)もこの戦いを題材に作られています。
19世紀初頭 イギリスは「自由主義」へ....宗教の自由 以前は審査法によってイギリス国教徒以外は公職につけなかった →アイルランドにカトリックが多くて差別するため
* 映画 『メアリーの総て』 Mary Shelley 19世紀「アインシュタイン」の小説を書いた少女の話
『ピータールーマンチェスターの悲劇』 Peterloo 1819年イギリスのマンチェスターで起こったイギリス史上最も残酷かつ悪名高いとして語り継がれるピータールーの虐殺を描いた作品、この時代の庶民感情なども描がかれています。
ドラマ 『ブリジャートン家』 Bridgerton 19年代初頭を舞台にしたロンドン社交界のブリジャートン家8人の兄弟の恋愛を描いたフィクション
1828年 審査法廃止 1829年 カトリック教徒解放法 施行 1832年 第1回選挙法改正 腐敗選挙区廃止 →労働者に選挙権がない「人民憲章」(ピープルズチャーター)制定 トーリー党... 保守党(地主や資本家を持層とする) ホイッグ党...自由党(商工業ブルジョア代表) 1837年 ヴィクトリア 18歳で即位 (堅実な女王) Victiria (1819-1901)
ドラマ 『 Victoria』
1838年 第一次アフガン戦争 Afghan Wars ..イギリス軍壊滅 1840年 アヘン戦争 First Opium War 勃発 アルバート公(ドイツ人)と結婚 *結婚式出来た白いウェディングドレスはここからはじる。同時に参列者に白色のドレスを禁止した。
* 映画 『ヴィクトリア女王 世紀の愛』 Young Victoria 1837年、ウィリアム4世の後継者は10代の少女ヴィクトリアだった。実話に基づいたストーリー。
『Les Misérables』 19世紀のフランスを舞台に貧しさゆえにパンを盗み19年間投獄された男の生涯を描いた作品
1842年 南京条約 Nanking Treaty...アヘン戦争を終結させるため清とイギリスで結ばれた講和条約
1843年 虎門寨追加条約 Treaty of the Bogue.…治外法権を得て中国から関税自主権を奪い取った →広州など5港開港、2100ドル支払い 1845年 上海に租海を設けた アイルランド大飢餓 ⇨アメリカに移民&飢餓者200万人失う ⇨反英民運動 1846年 貿易の自由化→穀物法の撤廃 1848年 ヴィクトリア女王とアルバート公がクリスマスツリーをウィンザー城に持ち込み、ツリーにジンジャーブレットを飾ってキャンドルを灯し、子供達を読んだ。これが新聞に載り、一般家庭でも飾るようになった 🎄1851年 世界初の英国万博博覧会 1856年 アロー号(第二次アヘン戦争 ) 1857年 シパーヒーの(セポイ)の反乱 ⇨東インド会社のインドの傭兵 ⇨ 1858年 天津条約 Convention of Tientsin 終結(清 vs フランス&イギリス) ①各国公使の北京駐在 ②キリスト教宣教徒の保護 ③アヘン貿易の合法化 ④イギリスに400万両の賠償金を支払う(真は英仏の使者に砲撃) ⇨英仏軍は北京に侵攻、離宮、円明園を襲撃、財宝を略奪したのち放火 ⇨北京条約(九龍半島のイギリスへの割譲、800万両支払う)
ムガール帝国捕虜→廃位→ムガール帝国滅亡 ⇨ 東インド会社 解散 ⇨ 1877年 ヴィクトリア女王がインド皇帝となる ⇨シンガポールやマラッカも手に入れる→商業港、軍港にする
1869年 スエズ運河開通 Suez Canal …..地中海と紅海を結ぶ運河 →方国スエズ運河株式会社(フランス&エジプト運営してる)6〜8割イギリス船でイギリスからインドへ、エジプトが財政難で株を売り出す ⇨ 1874年 首相ディーズレーリは株を買う ⇨イギリスはアフリカ進出 1878年 第二次アフガン戦争...保護国化するが断念、撤退 1881年 アラビーパシャの抵抗運動 ⇨イギリスはエジプトに出兵 ⇨スエズ運河を確保
⇨イギリスは東スーザンを支配下に置く南アフリカ戦争(ボーア戦争) Boer Wars 勃発...舞台はアフリカ南方のオレンジ自由国とトランスヴァール共和国
トランスヴァール共和国はオランダとケープ人の混合血のブーア人が建国 1815年 ウィーン会議でケープ地方はイギリスのものとなる(前はオランダが入植していた) 1886年 トランスヴァールは金鉱発見、オレンジ自由国はダイヤモンド鉱発見 ⇨イギリスが奪取しようとする ビルマ(ミャンマー)のアラウンパヤー朝を倒す
*ドラマ 『アンという名の少女』 Anne With An E 1880年代から1890年代のカナダプリンスエドワード島に住む孤児の女の子が子供のいない兄弟の家に幼女になるお話
1899年 第二次南アフリカ戦争(ボーア戦争) 勃発(ブーア(フランス、ドイツ、オランダ) vs イギリス) →イギリスが勝利したが戦死者は膨大、大苦戦したためイギリスの威信が急低下(イギリスを無敵の帝国と見ていた(世界の工場)) 今までイギリス(ほぼヴィクトリア女王時代)はバックス・ブリタリカと呼ばれていた →19世紀イギリスが冒頭した時代、18世紀後半〜1870年頃まで、産業革命の成果 1850年頃 鉄鋼生産量はドイツの10倍、アメリカの4倍 →最初は綿工業のおかげ、世界的な海軍力があったナポレオンに屈せず、インドの覇者となり、清を屈伏、ロシアも食い止めた バックス・ロマーナにちなんでつけられた(古代ローマの繁栄と安定)
19世紀末 ドイツの工業力はイギリスを上回る。イギリス(フランス,ドイツは見方)とドイツは建艦競争を展開する
* 映画 『ヴィクトリア女王最期の秘密』 Victria&Abdul 1887年ウィクトリア女王即位50周年の記念式典で記念硬貨の贈呈役に選ばれたアブドゥルに夫を亡くし心を閉ざしたヴィクトリア女王が心を開いていく実話に基づいたストーリー
*名前がややこしい、就任した国の読み方に名前が変わる 英読みウィリアム(William)、仏読みギョーム(Guillaume)、蘭読みウィレム(Willem) 英読みロバート(Robert)、仏読みロベルト、蘭読みローベルト 英読みヘンリー(Henry)、仏読みアンリ、蘭読みヘンドリク、独読みハインリヒ 英読みチャールズ(Charles)、仏読みシャルル、独読みカール 英読みマイケル(Michael)、仏読みミシェル、独読みミヒャエル、伊読みミケーレ